西部地区のまちぐらし

2022.08.23
西部地区のまちぐらし
不便の中で生まれるもの

函館「荘」プロジェクト わらじ荘 荘民 三浦 透眞

3年前、私を含む大学生3人で弁天町にある1軒の空き家を借りて共同生活を始めた。
その後、住民は増えたり減ったりを繰り返しながらも、今では西部地区を拠点として10名の若者が3つの家に分かれて共同生活を営んでいる。
もちろん、当の私も弁天町にある「わらじ荘(旧野口梅吉商店)」を拠点として今現在も西部地区で暮らしている。
でも、暮らしている身として、正直に言うと、大学生の私にとっては西部地区に住むというのは決して楽なことではない。
大学に毎日自転車で通うことはすごく大変なことだ。娯楽施設だって少ない。ましてや私たちが暮らすのは古民家。夏はとろけるほど暑くて、冬は外の方が暖かいくらいだ。
ただ、それでも私は大学を卒業するまで、西部地区で住み続けたいと思っている。

それは、この街、この家には「人と人の繋がり」という素晴らしい魅力があるから。

例えば顔見知りの近所の人と学校に行く時に少し話したり、町会の活動に参加してみたり。
ごく当たり前のことかも知れないけれど、少なくとも私は大学の近くに住んでいた頃はこの魅力を感じることができなかったし、この魅力は小さくて少し不便な街だからこそ生まれるものではないかと思っている。
現に、私たちが弁天町で行なっている「スマイルクラブ(放課後に大学生と地域の子どもが交流する活動)」もきっと人と人の繋がりがなければ継続してできていなかっただろう。
私たちが暮らす古民家も然りだ。
築100年を越えたこの空き家が生む不便さが、私たちの住民同士の繋がりを生み、家族のような関係を築くきっかけを与えてくれていると感じている。
これからこの西部地区という街に、どんな同世代の若者がやってきてくれるのだろう。
この街、この古民家で共に暮らせることを楽しみにして待っていたい。

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函館「荘 」プロジェクト